©Behrouz Badrouj

この映画は、2016年の国連UNHCR協会の第10回難民映画祭でも上映され感動を呼んだが、そもそも主人公のアフガニスタン人少女ソニータはなぜイランにいるのだろうか?彼女がイランのテヘランにいる背景には少女たちの児童婚という伝統的な問題の他に、アフガニスタンの内戦や貧困問題があるのだ。

アフガニスタンでは、1979年のソ連軍の侵攻の後で1990年代のタリバンの隆盛、2001年の同時多発テロを受けた多国籍軍の攻撃など次々と武力紛争が発生し、そのたびに多くの難民がイランやパキスタンに逃れた。タリバンの勢いが一時衰えた2002年以降は400万人以上がアフガニスタンに帰国したものの、2014年にNATO(北大西洋条約)軍が撤退してからは、タリバンの復活や「イスラム国」勢力の流入とともに治安が悪化し、政府の支配が及ぶ地域は国土の6割に縮んでしまった。映画の中でソニータが、国を去った10年前より危険だとつぶやく場面があるが、今日の首都カブールであっても安全ではない。最近ではテロなど治安事件は1日平均で70件もあり、今年前半の民間人の死傷者は5200人を超える。このようなアフガニスタンからイランに逃げて難民として登録されている者が約95万人いる。難民として登録されないまま滞在資格のない不法移民として滞在する人々も多い。ソニータもその一人だ。

さらに、紛争が30年以上続く中でアフガニスタンの経済は大きな打撃を受け、同国は世界で最も貧しい国の一つになった。一人当たりの年間所得は15万円(日本は400万円)、全人口の半分が生活に必要なものを購入できる最低限の収入を得られない「貧困ライン」以下の生活を送っている。若者の失業率が高い一方で、家計を助けるために子供が路上の物売りなどで働く「児童労働」も広がっている。当然、教育体制も深刻な影響を受ける。学校の建物が破壊されていたり、教員や教材の不足の中で、男女間の教育格差も大きい。タリバン政権の時代には西洋的教育が敵視され、女子が学校に通うことは許されなかった。アフガニスタンの識字率は世界で最も低く15歳以上の平均識字率は36%だが、女子に限れば20%に過ぎない。意欲も能力もある女の子(そしてその親)にとってこの状態は耐え難い。数百万人のアフガニスタン人が安全と仕事、機会を求めてイランやパキスタン(さらにヨーロッパまで)に移動して隠れるように暮らしているのだが、中には子供の将来を心配する親によって子供だけが国外に送り出されることもある。ソニータもその一人だ。

この映画の中心的なメッセージは、アフガニスタンの因習である児童婚だが、その背景にはアフガニスタンの内戦による難民の発生、同国の極度の貧困ゆえの移民の流出という問題がある。そのような構造的問題が、人権規範の発達した21世紀にはとても認められない児童婚という因習を続けさせ、時に強める。シリア難民の中にも生活のために幼くして結婚を強いられる女の子がいる。家族のために女の子が犠牲にされるのだ。難民と移民と因習の犠牲者、そのような境遇を背景にして観てこそ、次々に立ちふさがる障害に対して、決してあきらめずに自分の夢を追い続け、因習に対して敢然と立ち向かうソニータの勇気とたくましさが輝いて見える。そしてそのようなソニータの前には思わぬ支援者が現れる。苦境にあっても夢を追い続ける少女の姿が人を動かすのだ。「夢を追う者を人は追う」これがこの映画のもう一つのメセージだろう。

国連UNHCR協会理事長、元UNHCR駐日代表 滝澤三郎