監督はドイツ国籍を取得、北朝鮮に入国したが、撮影に当たって常時、監視の目が光っていたという。そんな状況を頭に入れてこの映像を見ていくと一見、平和的な、平穏な日常に見える映像が妙にスリリングに感じられてくる。観る者の映像を読み解く能力が試されている。
─ 原一男(映画監督)
北朝鮮は外から見たのではわからないことがたくさんある。私自身一度訪れてまたわからなくなっている面もある。事実の一辺を切り取っている本作で北朝鮮を体験してほしい。
-池内ひろ美(家族問題評論家)
初海外旅行で北朝鮮に行った時のことを思い出した。システムに驚愕し、素朴な人々の姿に懐かしさを抱く。偏見をとっぱらって、まっさらな目で観てほしい。
- 雨宮処凛(作家・活動家)
「北朝鮮」「制裁」。漢字ではたったの5文字。しかし映画で誰が影響を受けるのか具体的に見ることが出来た。こういう人たちが影響を受けるんだと。僕はこの映画にリアリティを見たと思う。
- 有馬嘉男(キャスター)
映画『ワンダーランド北朝鮮』は完全なプロパガンダ映画と思う。
映画には金正恩朝鮮労働党委員長を礼讃する言葉や標語、さらには歌がこれでもかこれでもかと嫌になるほど登場する。映画は、異様なまでの個人崇拝の国家体制の実態を映し出す。
地方の保育園では、まだしっかりと立つこともおぼつかない幼児たちに「金日成大元帥様に朝の挨拶を致します」と歌うお遊戯までも教え込むシーンがある。いたたまれない思いになる。
映画の冒頭、チョ・ソンヒョン監督は「私は行く先も撮る人物も決められません。地元の協力者に従うだけです」と率直に明かした。もちろんカメラの前に登場し、指導者礼讃を繰り返す人々には、言論の自由など与えられていない。
高橋 浩祐(国際ジャーナリスト)
参考:東洋経済オンラインの記事
試写会でチョ監督が最後にお話されていた「行間を感じて欲しい」という言葉が象徴的だった。
連日報道される北朝鮮のバッドニュースの行間に存在する生活を間接的ながら観察した。
そこには幸福も、もどかしさも、諦めもあったように感じた。
表面的な言葉や態度じゃない一瞬の違和感を、未知の国へ向ける私たちの視点と眼鏡を
映画という切り口だからできる超俯瞰的な社会思想と平和の関係性のようなものを
考え、感じて、そしてできることなら実際に足を運ぶことで、本当の理解が訪れるだろう。
あめみー さんのレビュー
参考:cinemoで映画レビューを書くことが出来ます。
この映画は、ひたすら淡々と北朝鮮に住む人々を描いたもので、誇張も強調もない。
まだ知らない事実もあると思うけど、この映画で見る北朝鮮も現実のひとつだと思う。
-宮西有紀(日本国際ボランティアセンターコリア事業担当)
恐ろしい! 遅れている! 灰色のイメージ!
それがニュースで知る北朝鮮。
でもホント?
飄々と暮らし、冗談言い、笑い、踊る。
俺らとどこ違う?
むしろ、
進んでいるかも、
しあわせ かも、
あんしん かも、
ゆたか かも、
じゆう かも。
少なくとも、
エコロジスト&ミニマリストを自負する身として、
彼らの暮らしは
優しくて シンプルで きれいで イキで かっちょいい。
質問:「北朝鮮、日本、どっちが幸せ?」
答え:「日本に決まってるでしょ」
映画鑑賞後の答え:「どっちが幸せだろうか?」
– 髙坂 勝(ダウンシフト&ミニマリスト)
庶民の姿といっても、所詮は政府が斡旋してくれた人たちに会っただけでは、と思うだろうが、その点を割り引いても十分興味深い内容。そこに映し出される北朝鮮の庶民の姿は、裕福なわけでも、主体思想で頭がいっぱいなわけでもない。冒頭の軍隊関係者や田舎の人々はいかにもみすぼらしい。しかしだからこそ、そうしたありのままの姿を外国に発信してもらってよいと判断した北朝鮮政府関係者の意図を読み解くべきだ。
撮影を行った時点では南北会談やら米朝会談やらはまだまだ話にも出ていない。むしろ制裁が強化されていく状況の中であった。そんな中、強がってもっといいところばかり見せるのではなくありのままの庶民の姿を見せているのは、政府としては将来外国との様々な交流が増えていくことを想定していたのでは、とも思える。そしてまた、こうした作品がどのように受け取られるのかについても注視しているのかもしれない。
ひでまー さんのレビュー
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