映画『戦火のランナー』主人公、グオル・マリアル選手インタビューです。最後に、日本の皆さんへのビデオメッセージがあります。
Q.あなたにとって、走る意味とは?
まず、僕たちの映画を日本に届けてくれてありがとうございます。南スーダンで何が起きているのか知ってもらうためにもとても重要なことです。また、勝手ながら南スーダン人を代表して感謝を述べたいと思います。南スーダンの選手たちへのトレーニングや受け入れについて多大なサポートを日本はしてくれていてとても感謝しています。実はちょうど一時間ぐらい前に日本にいる南スーダン選手の一人と話したばかりです。たまに選手たちとは連絡取り合っています。
僕にとって走ることには目的があります。南スーダンの人々や自分以外の誰かのために走っているのです。個人的には走ることでエネルギーをもらいますし、自分を高めるためのモチベーションをもらっています。肉体的にも精神的にもよい効果を得ています。
僕は2002年、初めてアメリカにたどり着いた高校生の頃から走りはじめましたが、その頃は友達を作る手段でもありました。しかしその後、奨学金を得て大学で走りはじめた頃、走るとは単に自分のためや、友達を作るということ以上に、他の人々の人生を変える力があると気づきました。僕が走って活躍することで、故郷南スーダンの子どもたちや世界中の子どもたちに勇気を与えることができると分かったのです。ですから僕にとって走ることとは、自分のコミュニティーや世界の誰かによい影響を与えるという目的があるのです。
Q.あなたの人生で、健康上の問題など様々な理由でもう走ることを諦めようと思う瞬間があったのではないでしょうか?
目的があるからです。毎朝シューズを履いて、どんなに疲れていても走っています。その理由は、南スーダンの村の子どもたちに人生は変えられる、世界にはチャンスがあると伝えたいからです。戦争がある日常が当たり前の世界ではなく、未来に向かい何かをなすという平和の道もあると伝えたいのです。南スーダンの子どもたちだけではなく、世界中で希望を失った子どもたちに、今、暗い毎日を過ごしていたとしても、希望を持ち続ければ、明日は拓けると伝えたいのです。もし、自分のために走っていたら、もうとっくに諦めていたでしょう。
Q.南スーダンの若手のスポーツ選手たちとの関係は続けているのでしょうか?
ウガンダやケニアにいる選手たちや、日本にいる選手たちと連絡を取り合い、助言を与えています。去年は選手たちのためにファンドレイジングも行おうとしましたが新型コロナの影響で中断しましたが、状況が落ち着いたら再開します。最大限、南スーダンの選手たちをサポートしたいのです。
Q.あなたにとってオリンピックとは?
とても大きな意義があります。オリンピックに出場する際、個人として行くのではなく、家族や国を代表して参加します。そこには差別などもなく、世界中の国々の人々が互いに称え合う場なのです。出場したら常に自分の国のユニフォームを着て、肩には自分の国を背負う責任があるわけですが、出場することはユニークで素晴らしい体験でした。
Q.オリンピックに参加して何が一番変わりましたか?
自分の国を代表して、マラソン選手としてゴールテープを切った時、南スーダンと一緒にゴールを切ったと感じました。きっと南スーダンの子どもたちがテレビで僕の姿を見ていて、いつか同じようにあの場に立ちたいと思ったはずです。何かをなすことが出来たと感じました。今、日本などで南スーダン選手たちが東京オリンピック出場を目指してトレーニングしていることをとても誇りに思います。そのきっかけに僕がなったならば本望です。
Q.あなたはまだ競技を続けているのですか?
東京オリンピック出場を目指していましたが、怪我により断念せざるを得ませんでした。約一ヶ月前に手術を受けたばかりです。しかし、出場を目指して頑張っている南スーダンの選手たちがいますので、彼らに期待しています。バトンを渡した気分です。彼らが出場することは、僕自身が出場するよりも嬉しいことです。
Q.次のオリンピックには出場したいと思っていますか?
出たいですが、年齢の問題があります。37歳になりました。しかし、体力の限界までトレーニングを続けるつもりです。今回のオリンピックについては、僕自身の出場は叶いませんが、とにかく若手の選手たちを応援するつもりです。
Q.今後の夢や展望をお聞かせください。
フィジシャンアシスタントの修士号を得るために学んでいますが、南スーダンが国としてしっかりと統治機能を得て、2024年のオリンピックに準備を進めていく力になりたいと考えています。
Q.日本であなたが主人公の映画が上映されることをどう思いますか?
日本はずっと行きたいと思っている国です。未来に何が起きるかわかりません。七転び八起きの精神で一歩一歩進むことが重要です。その先には信じられないこと起こるのです。スーダンで武装勢力から逃げていた頃、高校で走っていた頃、日本で僕の出る映画が公開されることなんて想像できるはずもありません。監督のビルと出会うこともです。そもそも自分の村の外に、別の世界があることさえ知らなかったのです。この幸運に感謝してもしきれません。また、もっともっと沢山の人々と出会いたいと願っています。現在のテクノロジーがあれば、簡単につながることができますよね。世界中の人々が、偏見を持たず、未来に希望を持ち、理解し合えることを諦めずにつながれば、違いを乗り越えて、国と国でぶつかるのではなく、人間として家族になれると信じています。
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