映画『シャイン』主人公モデルのドキュメンタリー。2018年3月3日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー!
デイヴィッド・ヘルフゴット(David Helfgott)について

デイヴィッド・ヘルフゴットは1947年に、ユダヤ系ポーランド人の両親の息子として、メルボルンに生まれる。家族の大半をホロコーストで失った父は、幼いころからデイヴィッドに熱心にピアノ教育を授ける。デイヴィッドはすぐに才能を開花し、10代でABC器楽声楽コンクールにて6度の入賞を果たし、「神童」と呼ばれる存在となる。14歳の時には、20世紀を代表する偉大なヴァイオリニストの一人アイザック・スターンの紹介で、アメリカのカーティス音楽学校でピアノを学ぶためのオファーを受けるが、父親の反対で頓挫する。デイヴィッドはその5年後、ついに厳格で知られる父親の意志に抗して、英国王立音楽大学のための奨学金を得てロンドンに向かうことになる。

 

デイヴィッドはロンドンでの勉強中にいくつかの賞を獲得する。シリル・スミスは、デイヴィッドのことをこれまでに教えた学生の中で最も優秀で、技術と情熱の点でホロヴィッツと匹敵すると評している。しかし、デイヴィッドは、1970年にラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」でロイヤル・アルバート・ホールのチケットを完売させて大成功を収めた直後に、神経衰弱状態に陥ってしまう。オーストラリアに戻った後、統合失調感情障害との診断を受けた彼は、その後11年を神経科病院で過ごし、最終的にパース(西オーストラリア州の州都)のとあるワインバーのピアニストとして働く。

1984年に後に妻となるギリアンと知り合ったことで、内面的・対面的に混乱状態にあるデイヴィッドに、愛情、静寂、そして安定が訪れる。デイヴィッドはギリアンの助けを得て、コンサートピアニストとして活動的な生活に戻ることができ、小規模なコンサートへの出演を経た後、1986年オーストラリアやヨーロッパにおいても、コンサートの舞台への偉大なるカムバックを成功させる。

ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」を含むデイヴィッド・ヘルフゴットの実演による映画『シャイン』サウンドトラックは、 特にアメリカ、オーストラリア、イギリスのクラシック音楽チャートに数カ月に渡って掲載され、世界ツアーのコンサートのチケットは完売状態となった。彼が神経衰弱状態に陥ってから約30年経った1997年、デイヴィッド・ヘルフゴットは、ロイヤル・アルバート・ホールで再び記憶に残る演奏を披露した。彼は今日も世界各地でのコンサートを続けている。

ギリアン・ヘルフゴット(GILLIAN HELFGOTT)について

占星術師であるギリアン・マレーは1984年に、デイヴィッド・ヘルフゴットと共通の友人宅で出会う。プールから上がってびしょ濡れ姿のデイヴィッドは、ギリアンの手を放そうとしなかった。ギリアンは、デイヴィッドの早口言葉をなんとか理解しようとする一方、自分がこの風変わりで厄介な、しかしものすごく人懐こい人物に惹かれていた。その晩、デイヴィッドが毎週土曜日にピアノを演奏していたワインバー、リカルドズに誘われたギリアンは期待で胸を膨らませてデイヴィッドの演奏を見に行った。

「デイヴィッドがピアノの前に座り、彼の指が鍵盤に触れたその瞬間から、客が引き込まれていくのがわかったわ。デイヴィッドは演奏中にタバコを吸い、そこら中に飲み干したコーヒーカップを置いたの。私は魅了されたわ。信じられないような情熱に満ちた、とても自然なピアノ演奏を聞いたの。そして翌朝、デイヴィッドは私のところに来て、私に結婚してくれるかと聞いてきたのよ。」

その後、多少時間こそかかったが、最終的にギリアンはデイヴィッドのプロポーズを受け入れる。それは今日にまで続く冒険であり、それをギリアンは映画の中でこのように描写している。

監督・脚本:コジマ・ランゲ(COSIMA LANGE

1976年、ハンブルク生まれ。ハンブルク州立オペラ劇場の児童合唱団のメンバーとして、若い頃から世界中を旅して回る。巡業の間に得た様々な経験を基に、異なる文化の架け橋を作り、情報を与え、娯楽を提供し、人を動かし、そして変える媒体である映画への情熱を育む。1998年から2003年まで、ルートヴィヒスブルクにあるバーデン・ヴュルテンベルク映画アカデミーで映画制作を学び、プロデューサー兼作者として、数多くの短編映画や劇映画『VAKUUM』の責任者となる。監督デビュー作品である、4人のアルゼンチン出身の音楽家を扱ったドキュメンタリー映画『CHAMAMÉ』(2006)は、数多くの映画祭で上映され国際的な注目を集める。その後、テレビドラマ『DIE WELTBÜRGERIN』(2012)の制作や、インドで長編ドキュメンタリー『PIONEERS OF DAWN』の撮影に携わる。2010年から、バーデン・ヴュルテンベルク映画アカデミーのドキュメンタリー・短編映画部門において、「アトリエ・ルートヴィヒスブルク-パリ」プログラムの枠組みで教鞭を執る。ドキュメンタリー映画のワークショップを世界中で開催している。