
私が初めてデイヴィッド・ヘルフゴットの演奏を聞いたのは、チューリッヒのコンサートでした。デイヴィッドの演奏は、彼の解釈やピアノが伴奏する”歌”とともにストレートに私の心に響きました。チューリッヒで2日間共に過ごし、その後デイヴィッドと妻のジリアンと共にトスカーナで数日間過ごすことで、彼の特徴や愛嬌ある性格について知りうる機会となりました。
デイヴィッドのスタッカートのように一音一音区切って、反復しながら話す癖についていくのは必ずしも簡単なことではありませんでした。頭韻や生き生きとした比喩が満載の、果てしなく反復される言葉遊びに付き合うことを強く求められていたと感じました。しかし、彼のそばにいて、一緒にダンスをしたり、手を繋いだり、ピアノを演奏している最中に彼から話を聞けるようになるまでそう時間はかかりませでした。デイヴィッドは神経病院に入院した後、常に誰かに触らずにいられないという癖がありました。彼は、全く見知らぬ人の手を激しく握ったり、ハグしたり、キスしたり、寄りかかったりするのです。
夜になると彼の自宅はコンサートホールに様変わりしました。デイヴィッドは、バスローブを着たまま早朝までショパン、リストやその他の作曲家の作品を演奏することもしばしばありました。彼は、子どものように傷つきやすく、ナイーヴで、風変わりな振る舞いをする人です。しかし、同時に知性が溢れる天才的なピアノ演奏をする人でした。
私は、この特別な音楽家についてのドキュメンタリー映画を撮影しようと決意して帰路につきました。デイヴィッドは、私達に異なる視点から世界を見る方法を教えてくれます。彼は人の心を動かし、揺さぶります。私にとって、「異なっていること」には大きな価値があります。