2023年9月16日(土)シアター・イメージフォーラム他全国順次ロードショー 配給:ユナイテッドピープル

「イラク戦争がなければISISは出現していなかっただろう」と言ったのは、米国とともにイラク攻撃を主導したブレア英元首相だ。イラクが大量破壊兵器を保有していると主張し、米英が先制攻撃を加えた国際法違反の戦争だ。結局、大量破壊兵器は見つからず、ブッシュ米大統領(当時)は「情報が誤っていた」ことを認めた。「テロとの戦い」をやたらに強調した大義なき戦争は、イラク市民65万人以上の命を奪い、世界にテロを蔓延させた。

このイラク攻撃は、サダム・フセイン政権を崩壊させ、イスラム教スンニ派の反乱を引き起こし、海外からジハード(聖戦)主義者たちを呼び寄せることになった。数百人がISの前身であるイラクのアルカーイダに参加したと考えられている。

戦後もイラクに駐留し続けた米軍は、「対テロ」を強調した治安維持の名の下、イスラム教徒に対する蛮行を繰り返した。反米感情は高まり、スンニ派武装勢力は逆に増えていくことになる。米軍の組織的な拷問や虐待が発覚したファルージャ近郊のアブグレイブ刑務所。さらに「テロリスト製造工場」と言われた南部バスラにあるブーカ刑務所。オレンジ色のジャンプスーツを着せられたイラク聖戦アルカーイダのメンバーたちは、この刑務所で「ISマスタープラン」を練っていた。2014年6月にイラク北部モスルで「イスラム国建国宣言」をしたアブ・バクル・バグダーディは、ブーカ刑務所の模範囚だった。

異教徒虐殺、集団処刑、性奴隷、洗脳教育、恐怖支配。ジャーナリストたちはオレンジ色のジャンプスーツを着せられて斬首され、その様子はソーシャルメディアで発信された。報復を象徴するやり方だった。残虐非道を極めたこの集団に、なぜ世界中から戦闘員が集まったのだろうか。

欧米各国で生まれ育ったイスラム教徒の移民2世の若者たちは、世界中でイスラマフォビア(イスラム恐怖症)が広がる中、子ども時代にはさほど感じなかった差別を体験した。彼らは、自身のアイデンティティを探るためにインターネットを検索し、理想のイスラム国家を謳うISISのプロパガンダ映像に行き着いた。リクルーターは、世界各地で迫害されている少数派にも盛んにアプローチした。さらに、激化するシリア内戦で傷ついた子どもたちの姿は、「イスラムの同胞を助けに行かなくては」と正義感溢れる若者たちを奮い立たせた。巧みなメディア戦術は110カ国以上から4万人の戦闘員をシリアとイラクに呼び寄せることに成功した。

ISの前身であるイラク聖戦アルカーイダは、イラク市民からは歓迎されず、シリア国境沿いに潜伏していた。2011年、シリア内戦が勃発すると、彼らは国境を越えて加勢。短期間に戦闘員を増やした。存在感を一気に強めたイラク聖戦アルカーイダは、ISIS(イラク・シリアのイスラム国)と名乗り、黒い旗を掲げてイラクに戻ってきた。米軍や政府軍に親族を殺害された遺族たちを巧みに人心掌握し、あっという間にファルージャ、ラマディ、そして200万人都市のモスルを手中に収めた。

2014年6月、バグダディがモスルでイスラム国建国宣言をする。8月、モスル近郊でキリスト教徒がISISに襲撃された。続いて、ヤジディ教徒の男性たちが集団処刑され、6,000人以上の女性たちが性奴隷として連れ去られた。2週間ほどの間に数十万人がイラクのクルド人自治区に逃げてきた。道路、公園、教会、建築現場など、ありとあらゆる場所に避難民が溢れかえっていた。

テレビでは、バグダッドの国会でヤジディ教徒の女性が「このままではヤジディ教徒が全滅してしまう」と泣き叫んでいた。想像をはるかに超える深刻な事態は、米軍に散々拷問されたファルージャの友人に「この暴走を止めることができるのはもう米軍しかいない」と言わしめた。まさに、この世の地獄だった。オバマ大統領(当時)は、2011年12月に完全撤退させた米軍を再びイラクに派兵。3万人のヤジディ教徒が立ち往生していたシンジャール山近郊で空爆を開始した。直後、米国が呼びかけた多国籍軍には60カ国以上(日本も含む)が参加し、対IS軍事作戦が本格化した。2年以上かけて空爆による地ならしができた所で、2016年10月にイラク軍がモスル奪還作戦に突入。熾烈な地上戦は9ヶ月に及んだ。

イラクとシリアで対IS作戦が激しくなると、欧米各国を中心にテロが起きるという “負の連鎖”が加速した。イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、スペイン、トルコ、ベルギー、地下鉄、コンサート会場、ナイトクラブ、クリスマスマーケットなど大勢が集まる場所がターゲットになった。

2017年8月モスル解放。10月、ISISが首都としたシリアのラッカが解放された。人々は歓喜に沸くが、報復感情も高まっていた。それはIS戦闘員にだけでなく、その妻や子どもたちにも向けられていた。スウェーデンで有名だったISIS信奉者と結婚し、シリアで戦死した娘を助けられなかったと悔やむパトリシオは、娘が残した7人の子どもたちを救おうとシリアに向かう。

「祖国を出たテロリストの話ではない。罪のない子どもたちの話なんだ」

きっと、誰もが彼の言葉にうなずくだろう…と思った。子どもは親がテロリストだなんて知らない。そもそもテロリストが何か、ISISが何かなんてわからないのだから子どもに罪はない。しかし、差し伸べられる手は、ほぼない。

シリア北東部のクルド人自治区ロジャワにあるアルホル難民キャンプには、”ISファミリー”と呼ばれる人たちがおよそ6万人いる。報道によると、そのうち2.5万人がイラク国籍、シリア国籍も同程度いて、50か国以上の外国籍も1万人いる。住人のほとんどが女性と子どもで、ISIS占領時代の3年間に生まれた子どもたちも大勢いる。

未成年含む男性たちは、同じく自治区内の刑務所に収監されている。昨年1月、ISIS残党による刑務所襲撃が起きた。700人以上の少年たちがISの人質に取られ、セキュリティを担うシリア民主軍との戦闘では、双方合わせて160人以上が死亡した。

アルホル難民キャンプには、ISの過激思想を持つ女性もいるが、多くがすでに洗脳が解けていたり、夫に強制されたケースだと言われている。巨大な監獄と化したキャンプは、治安の悪さや医療へのアクセスが困難で命を落とす子どもたちも後を絶たないという。帰還は遅々として進まない。外国籍者は、文字通り見捨てられるケースが多い。子どものみ帰還を認めるとした国もあれば、市民権を剥奪した国もある。

7人の孫を救出したいパトリシオは、シリアのアルホルキャンプに行くため、イラク北部クルド人自治区にやってきた。そこで、スウェーデン大使館と連絡を取り合うが、やはり政府はなかなか動いてくれない。注目してくれるのは、スウェーデンのメディアのみ。パトリシオはあらゆるメディアの取材に応じていった。しかし、「ISISの子どもたち」という見出しがセンセーショナルに踊り、パトリシオはバッシングに遭う。「同じ幼稚園に入れたくない」「市民権を剥奪すべき」「子どもたちが大使館まで来たら事情を聞く」など政治家も市民も辛辣だ。彼は、ヤジディ教徒の被害者に心からの同情をし、娘に代わって謝罪するとも言った。そして、自分の孫たちも被害者なのだと泣いた。

アルホル難民キャンプの子どもたちは、「ISの幼獣」と呼ばれている。このままでは数年後に爆発する「時限爆弾」だとも言われる。しかし、誰も起爆装置を外そうとしない。

このドキュメンタリー映画は、救いようがないほど重い。「テロとの戦い」が遺したものの大きさにただただ慄く。答えも見つからない。こんな解説を読めば、観たくもなくなるだろう。

だからこそ、観てほしい。再び、地獄の扉が開く前に。
2023年8月現在、対IS掃討作戦はイラクとシリアで継続されている。

高遠菜穂子 (フリーランスエイドワーカー)

解説文:高遠菜穂子 (フリーランスエイドワーカー)

©Gorki Glaser-Müller
©Gorki Glaser-Müller