在ユーゴスラビア日本大使館での勤務経験のある亀田和明(元駐ウガンダ特命全権大使、前ジャパン・プラットフォーム事務局長)さんから解説的な感想が到着しましたのでご紹介いたいます。
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私自身が個人的にサライェヴォと深いかかわりがありますので、キス・ザ・フューチャーについて少し書かせて下さい。長くなりますが、お許しください。
1984年2月に当時は社会主義ユーゴスラヴィアのボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の首都のサライェヴォで社会主義国家としては初めての冬季五輪が開催されました。当時、私は在ユーゴスラヴィア日本大使館で勤務しており、五輪アタッシェとして日本選手団の一員として選手団の身の回りの世話をしていました。そんなサライェヴォが92年に民族紛争に突入し、盆地にあるサライェヴォが回りの丘からセルビア人勢力による砲弾で破壊され、市民が射撃されていたことに胸を痛めていました。そして、米国主導でセルビア人勢力を空爆しながらの力による停戦工作が功を奏し、95年12月にデイトン合意が成立し、戦火は止み復旧・復興への道を歩むことになりました。ボスニア復興努力において何ができるかを調査する日本政府の調査団が翌96年2月にサライェヴォに入りました。私もその一員でした。また、97年9月から98年4月まではサライェヴォに滞在して、ボスニア和平履行を監視する臨時の国際組織にも所属しました(なお、臨時のはずのこの組織は今も存続しています)。
この映画では、紛争当時の包囲された市民の厳しい生活の様子を映しながら、戦時下のサライェヴォに人道支援目的で入った米国人の若者が市内に滞在し、ロックバンドU2のコンサートを通じて戦時下のサライェヴォの状況を伝え、デイトン合意後にはサライェヴォでのU2のコンサートの実施で締めくくるものです。最近の年を重ねた姿のクリスチャン・アマンポールCNN記者やビル・クリントン元大統領のインタビューが挟まれ、その中で彼らはセルビア人、特にスロボダン・ミロシェヴィッチ元ユーゴ大統領を厳しく断罪しています。恥ずかしながら、U2がサライェヴォ五輪の開会式が行われたスタジアムでコンサートをしたことをこの映画で初めて知りました。
登場するサライェヴォ市民(音楽や放送関係者多し)の語りが人間性を保っていくために無理やり普通の生活をしていくこと、地下壕でコンサートを開いたり、ビューティ・コンテストをしたりとするシーンは特に感動ものでした。戦時下のサライェヴォの様子がウクライナと二重写しで観ましたが(最近までジャパン・プラットフォームで勤務していたので、ガザの惨状の中での住民の顔も浮かび上がってきました)、この映画もそのことに触れて終わっていました。
- 亀田和明(元駐ウガンダ特命全権大使、前ジャパン・プラットフォーム事務局長)


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