2021年7月4日版
上智大学グローバル教育センター教授 東 大作
『ミッドナイト・トラベラー』は、アフガニスタンからヨーロッパに難民として逃れたアフガン人映画監督ハッサン・ファジリ氏が、自分と妻、娘二人の逃避行の様子を、2年近くにわたってスマートフォンで撮影したものである。
この映画を見て私が最初に感じたのは、一人でも多くの日本人にこの映画を見て欲しい、ということだった。なぜなら、まさに地獄ともいえる恐怖と苦境に耐えながら、アフガンを脱出し、イラン、トルコ、ブルガリア、そしてハンガリーへと逃れていく家族が、それでも明るさを捨てずに生き抜いて行く姿は、コロナ禍で苦しむ我々日本人にとっても、大きな勇気を与えてくれると率直に思ったからだ。
2001年の911同時多発攻撃を受けて、米国は、911攻撃を国際過激派集団「アルカイダ」の犯行と断定し、「アルカイダに自由な活動を許している」という名目で、当時、アフガニスタンの9割近くを実行支配していたタリバンへの軍事行動を敢行した。その結果、タリバン政権は崩壊し、タリバン指導部はパキスタン側に逃避した。一方、米国を主導とする新たな国づくりが、カルザイ大統領のもとで、2001年末から始まった。
その後数年間は、アフガン国内に新たな国づくりに向けた明るい希望が満ち、治安もよかったのだが、その間、何度かあったタリバン側からの対話の申し入れを米国政府が拒否したこともあり、2005年頃からタリバンが再び軍事的に盛り返し、アフガンに浸透し始めた。その背景には、この映画の中でも語られるように、アフガン新政府が、生活の向上を期待する人々の期待に応えられなかったことがある。タリバンは、「現在の政権は米国の傀儡政権であり腐敗している。自分たちは、米国の支配からアフガンを解放し、腐敗のない厳格な統治を行う」と人々に呼びかけ、次第に支配地域を拡大していった。
私は、2008年にアフガン現地に入り、首都カブールと、南部のカンダハール、中部のキャピサやワーダックなど三つの州で現地調査を実施した。既に治安は極端に悪化し、国の半分から7割くらいは、タリバンが実行支配していると言われる状況だった。3か月行った現地調査の結果は、「アフガン国民の多くもアフガン政府の要人も、タリバンを軍事的に駆逐することは難しく、政治的な交渉による和解しか平和への道はない」と考えているということだった。現地調査を国連アフガン支援ミッション(UNAMA)の協力で実施したこともあり、国連幹部からもお誘いがあってUNAMAにアプライし、2009年末から、UNAMAの「和解・再統合チームリーダー」として1年間、カブールで勤務した。そして、タリバンとの和解を進める具体的な制度作りについて、アフガン政府を支援する仕事に没頭した。
1年以上、一緒に住んだ国の人達が今どうしているのか、2011年に日本に戻ってからもアフガンの状況はいつも気になっていた。そして映画でも描かれているように、2015年頃からタリバンはさらに支配地域を拡大。2021年4月、米国のバイデン政権は同年9月11日までに、「米軍をアフガニスタンから完全撤退させる」と発表。20年に及ぶ、アフガニスタンへの軍事介入に正式に終止符を打つことを、遂に宣言したのである。
この映画が、同じ2021年9月11日に日本で上映開始されることは、その意味でも歴史的なことである。映画は、21世紀に生きる我々人類の苦しさと、それでもギリギリ持てるかもしれない希望を、余すことなく写し出している。タリバン指導部を取材した映画をアフガンで放送した主人公は、タリバンから殺害予告を受け、家族を連れて車でイランに逃れる。それは死から逃れるためのギリギリの判断だった。そこからヨーロッパに向けた必死の逃避行。行く先々で、移民業者に騙されたり、娘を誘拐すると脅されたり、難民排斥を訴える右翼に暴行を受けたりして、自分たちが生きることを受け入れてもらえない苦難を、カメラは当事者の目線で淡々と捉えていく。それでも二人の娘が、セルビアの少し安心できそうな難民キャンプで見せた笑顔がたまらない。どんな苦境に直面しても、「それでも生きていく」ことの尊さを、この4人の家族が教えてくれる。そして、現在世界中で8千万人もの人たちが、難民や国内避難民となり、こんな苦しみに直面していることに思いを馳せざるを得なくなる。
だが日本もまた、年間2万人から3万人もの方が自ら命を絶つ、まさに「心の戦場」ともいえる場所だ。しかし地球の反対側で、ここまでの苦境に直面しながら、それでも生きるために力をあわせている家族の姿を目の当りにすることは、「日本で様々な支援制度を使ってでも、まだまだ生き抜いていけるのでは」という勇気を、私たち日本人に与えてくれるのではないか。それは、富める国とそうでない国という2極対立を超えて、「それでも生き抜いていく」という、人類全体に向けた励ましにつながっていく映画だと私は感じている。