※登場人物の一部
1975年から1990年にかけての内戦をものともせず、レバノンワインを世界に売り込み「レバノンワインの父」と呼ばれたシャトー・ミュザールの2代目。1984年の英国デキャンタ誌でマン・オブ・ザ・イヤーを世界初受賞。2014年に他界。
シャトー・ミュザールの共同経営者であり、セルジュ・ホシャールの弟。レバノン内戦で国内販売が90%減少した後、英国での事業展開に尽力した。レバノン内戦が激化する中、ワインを造り、輸出することは容易ではなかった。
1978年、内戦から3年目に設立したワイナリー、シャトー・ケフラヤのオーナー。1982年のイスラエル侵攻では、ブドウ畑の上空でイスラエル軍とシリア軍のジェット機による空中戦があり、フランス人のワインメーカー、イヴ・モラールがイスラエル軍に捕らえられるという事態にも耐えた。ミッシェルは2016年9月に死去した。
シリアのドメーヌ・ド・バージュラスとレバノンのシャトー・マーシャスのオーナー。シリア内戦の最中もワイン造りを続け、2020年8月4日のベイルート大爆発では辛くも死を免れたことで世界的なニュースとなった。
レバノン最古のワイナリーシャトー・クサラの共同経営者。2006年の夏の戦争では、ジェームス・パルジェをシリア経由でレバノンに無事送り出す手配をした。
2000年4月、山間の町ブハムドゥンに創業したシャトー・ベルヴーのオーナー。内戦はブハムドゥン市民に大きな打撃を与えた。1983年には約500人が死亡し、さらに多くの人が避難生活を余儀なくされた。彼らのワイナリー開設の夢を支えたのは、紛争の痛ましい記憶である。それは、彼らの癒しでもあった。
ベッカー高原にあるマサヤのオーナー。子供の頃、彼らは内戦で家を追われた。AK47で武装したサミーは90年代初頭に土地を取り戻した。2006年の夏戦争では、戦闘行為が始まった時、敷地内に爆弾が落ちたがその時ラムジーはワイナリーにいた。
映画化された著書『食べて、祈って、恋をして』で知られるアメリカのベストセラー作家。2004年、GQマガジンにセルジュ・ホシャールについて執筆するためにレバノンを訪れる。ホシャールとは生涯の友好関係を築くことになる。
世界的に有名なイギリスのワイン評論家、ジャーナリスト、ワインライター。レバノン内戦の初期にシャトー・ミュザールを訪れ、ホシャール家と生涯の友好関係を築く。
イギリスのワイン評論家、作家、オークショニア。1979年のブリストル・ワインフェアでシャトー・ミュザールを「発見」したと言われている。彼の家族とホシャール家は生涯にわたって友情を育んできた。
レバノンで最も古いワイナリーの一つであるドメーヌ・デ・トゥレールの共同経営者であり、フランスで訓練を受けたワインメーカーである。
バトルーンにあるワイナリー、コート・ドゥ・ボトリスの共同経営者で、バトルーンをレバノン第2のワイン産地とした創業者ジョセフ・ビター将軍の娘である。