夏木マリ
主人公は2組の同性カップル
戦わなければ 勝利はない
ただ自分らしく、そして愛する人と結婚を望む戦いの記録だ
驚いたことに、この主張が当初のLGBTの
指導者たちにも受入れられなかったという事実
その撮影時間は5年間、600時間にも及ぶ
自分の権利をもらうためのその時間
人の意見を聞かなければ 行動は起こせない
その思いに感動した
安冨歩(東京大学 東洋文化研究所 教授)
私は、「LGBT」などいうものは存在せず、あるのは「性的指向を口実にした暴力だけだ」と考えているが、この映画は、そのことを示していると感じた。
性的少数者を「LGBT」という特別な人種と認定した上で権利を認めるのは、差別なのだ。
そのような差別の残存する社会に生きることは、全ての人にとって苦痛である、ということを、この映画で、確認することができたと思う。
同性婚を拒否する保守主義者には、ぜひともこの映画を通じて、「真の保守主義」について学んで欲しい。
全文はこちら
村木真紀(特定非営利活動法人 虹色ダイバーシティ 代表)
LGBTの運動でよく使われる「PRIDE」という言葉は、日本語での説明が難しい。誇らしい気持ち、自分は自分でいいという気持ち、自尊心、、、一言では言い表せない。
私が特に心を動かされたのは、原告たちが証言の前に重責に押しつぶされそうになったり、人生を振り返って涙したりする姿だった。その時の彼らの目に宿るものこそが「PRIDE」だと思う。社会、自分、仲間、子どもたちの生きる未来。是非、この映画を観て、多くの人に一緒に考えて欲しい。
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ニュースを通した「同性婚」の文字は、なんだか遠く思えたりもする。だけどその3文字の裏には、人々の想いがあり、激動の歴史がある……。賛成派vs反対派っていうグラフにまとめられるその前の、ひとりひとりの瞳が、想いが、心に焼きつく映画です。
(牧村朝子さん Twitterはこちら)
小嵒ローマ(NPO法人Rainbow Soup 代表)
原告の涙にもらい泣きし、弁護士の言葉に励まされながら、あっという間の110分だった。生身の人間のありのままの姿と言葉は、やはり、人の心を動かす力がある。
終盤、ある弁護士のセリフが強く心に刻まれた。
「キング牧師は言った。『勝ったのは闘ったからであり、敗北を恐れたからではない』と」。
私は闘っているだろうか。何かを恐れていないか。そして、今できることはなにか。他人事から「自分事」へ。観る者に勇気を与え、新しい一歩を後押ししてくれる、そんな作品である。
石川大我(日本初のオープンリーゲイ議員 東京都豊島区議会議員)
肌の色で人を差別しない、男か女かであることで選挙について差別しない―—。
こうした私たちからすれば当たり前の常識も、奴隷制度と闘った人々、女性の参政権を求めて立ち上がった先人たちが勝ち得たものです。
今、“愛する性別で差別しない”という新しい常識は世界で大きなうねりになっています。「お母さんの小さいときはね、結婚は男と女でしかできなかったんだよ」と母親が言って子どもたちが驚く。そんな未来はそう遠くないと実感させてくれる映画です。「ジェンダー・マリアージュ」にぜひ、みなさんも元気をもらってください。
今村 有策(トーキョーワンダーサイト 館長)
同性婚問題を基本的人権の問題として真っ向から裁判で闘うドキュメンタリー。原告と弁護士たちが語る言葉の強さに心が揺さぶられる。
アメリカを代表し、敵対する二人の弁護士がタッグを組み、相手を基本的人権と平等に立脚した正論で論破してゆくところは映画でも拍手したくなるほど素晴らしい。
ハナ・アレントが注目され、LGBTにも注目が集まるなど、改めてhuman conditionが問われる現在、必見の映画。
外山雄太(株式会社 Letibee共同代表取締役)
セイギとはなんであろうか。
時に人は自分らしく生きることを求められるが、それは同時に苦痛を強いられる。人生とは皮肉なもので、夢を持てと言われながら、夢をみるなと笑われる。自分らしくあれと言われながら、出る杭は打たれる。
それでも自分が自分らしくあるために、愛している人のために、後世の人たちのために心を削りながらも、戦った人たちの話であると感じた。
生きていれば、思い通りにいかないことも、無理をしいられることも、理不尽のなかでなき叫ぶこともある。誰かのためであろうが、どんなに強い信条を持っていても、勝った方がセイギだと言われる。
そうした理不尽な世界で、どんなに辛く絶望のなかにいたとしても、それでも自分の信じるセイギのために戦う術が、選択肢が僕らに残されているということを強く認識した映画だったように思う。
映像も音楽もとてもいい。職人的な意味でもよくできた映画でした。しかし、それを超えて、この映画はいくつかの強烈なメッセージを伝えてくれます。ひとつは、制度は変えることができるということ。憲法が社会を動かすダイナミズムとなっているアメリカ社会は、多くの病理をはらみながらも、その点についてはやはり健全です。昨今の日本の憲法状況を思えばなおさらでしょう。そして、もうひとつ。「愛は強い」ということ。論理も信仰も愛には勝てません。可死性という限界を持つ人間には愛がなければ、この残酷な現世を生きて行けるはずがない。そのことの尊厳を個人のレベルで認めるのが人権論でしょう。とにかく、愛してしまった以上、どうにもならないということです。私の職業柄ぜひ法学に失望しかかっている法学部生に見てほしいと思います。