『ハッピー・リトル・アイランド ―長寿で豊かなギリシャの島で―』をご覧になった方のレビューを紹介します。
金融危機迫るギリシャで、都会から移住して幸せな島暮らしを追い求める若者のリアリティ溢れる物語。でも、そんなに楽じゃない。島ではヒトもモノも限られている。島は人生の学校。幸せに生きていくのに必要なのは、豊かな土地ではなく自分自身の価値観だった。これは僕自身の人生を見ているようだ。
阿部裕志(島のベンチャー企業 株式会社巡(めぐり)の環(わ) 代表取締役)
土地が豊かなわけでも、大きな産業があるわけでもない小さな島で、
人々は元気で幸せで長生きするという。その秘密は、日本にもかつて豊かにあっ
たものであり、いま各地でふたたび見出され、実践が始まっているものだった!
若者たちの等身大の姿を通して、新しい時代の懐かしいキーワードを発見できる
映画だ。
枝廣淳子(幸せ経済社会研究所所長、環境ジャーナリスト)
自給自足ほど自遊で愉快な生き方はない
頭でっかちより体で考える場所が田舎です
田舎は貧しい?とんでもなく最幸です!
外から見るのと中からみるのとでは真逆です
グローバルスタンダード崩壊の危機からローカル回帰へのWORLDSHIFT
最終的には“なんでもやっちゃう人”ありきです!
西口 和雄(一般社団法人上山集楽代表理事/NPO法人英田上山棚田団理事)
世界でも長寿として知られイカリア島の生活は、四季にあるものを食し、身の丈にあった生活を営み、必要以上のものを求めず、お互いに助け合う。日々の幸せを感じ、自然の恵みを享受する。私たちの経済主導の暮らしに、本当の生きがいは、もっともローカルな暮らしの中にあり、持続的な社会を生むのだと、足元から問い投げかけてくる。島の人々の一言一言には計り知れない学びと発見がある。
ギリシャにも行ったことがあり、長寿の島・奄美諸島徳之島にも住んだことがあり、100歳のインタビュープロジェクトを行ったこともある私にとって、とても興味のある映画だった。
食環境ジャーナリスト 金丸弘美
この映画に登場するギリシア国内の離島移住を選んだ若者たちは、震災後に沖縄へ移住した僕やその周りの人間たちと恐ろしく似たシチュエーションにある。九州や、中国、四国の田舎でも、同じような事がたくさん起きているはずだ。放射能の問題か、国がデフォルトを認めたかどうか、という若干の差はあるが。
田舎暮らしの長寿や豊かさとは何なのか?いや、それ以前に都会の発するチャネリングで、多くの人は何を失い、何を追い求めているのだろうか?食っても稼いでも道楽っても旅しても埋め合わせられないそれは、沖縄の北部へ暮らして4年。ようやく分かって来た。地球や太陽、月、海、風、山、木、石、獣、虫、植物。そして、わずらわしさとありがた味の半々になった濃密な人付き合い。言うなれば、ムラ社会。
これらは、まさにこの100年ほど、人類が旧い体制として放逐し、脱して来たもののはずだった。ところがTPPなどによって、遂には農業も工業化しようとしている世界の現実において、それらは見直されつつある。
確かに田植えは機械のほうが早いが、みんなでワイワイとやったら素人でも1反が3時間ほどで終わったりする。人間が手で植えたほうが、食べる時にも美味しいと感じる。「想い」が入っているから。人力と、コミュニティの力に勝る合理性はないのではないか?と思う事がある。何より、その術を取り戻した人たちは、何はなくとも「豊か」だし、物質的な動乱にたじろぐ事はないだろう。その「豊かさ」がポイントである。
映画は、52分と短いし、豊かさそのものについては深く描写しない。むしろ取り立ててカメラに映すほどの事もない、日常の他愛もない空気、会話の流れにこそ、この「ミエナイ豊かさ」、言い換えるなら「地球に暮らす意味」が存在するから、それは映画には映らない。沖縄の田舎町の市場で人々と話し、お茶をすると午後があっという間に過ぎていく。畑の世話を気にしだすと、1日はすぐに足りない。まともに地域の行事につき合ってると、年がら年中イベント続きでてんてこ舞い。それでも、都会の空虚な忙しさとは全く趣きが違う。20年東京に暮らしたが、豊かな時間に憧れてきた。移住して4年になるが、そうしたライフスタイルや心の引っ越しはまだ、途上である。
映画の登場人物たちは、今、全地球的に起きている「移住者」たちであるように思う。僕は別に予言者ではないが、都市人口の3割ほどが田舎へ引っ越す事で、地球はうまく回るようになるはずだ。先見の明ある人は、いま野に還っている。そして、野に生きる自分を獲得していく事が、最大の豊かさである事に気づき始めている。
三宅洋平((仮)ALBATRUS/NAU代表)
バランスのいい映画だ。「離島に移住して暮らすと、いいこともあるし悪いこともある。で、あなたはどう思った?」とだけ問いかけてくるような。都会の住みにくさと田舎の素晴らしさばかりを強調されるよりも、深い問いかけになっているといえよう。
山崎亮(コミュニティデザイナー/studio-L代表)
経済成長システムに乗り遅れた人に仕事辞めさせ田舎に移住させるのが、我が趣味だ! だから確信して言おう、大丈夫! 笑顔が増えた人はいても、笑顔に飢えた人はいない。都会で人間関係に悩むのは「生き残り競争」。田舎で人間関係に悩むのは「助け合い共奏」。どっちが安心か? どっちが感動か? 革命はすでに田舎から始まっている! 降り遅れるなかれ!
高坂勝(「たまにはTSUKIでも眺めましょ」オーナー、「減速して生きる―ダウンシフターズ」著者)
2011年にHappy People Live Longerという記事がScienceという科学誌に掲載された。
「幸せだから、長生きする」という一般的には逆説的でありそうな事実を、世界の研究から証明した画期的な論文だ。
この映画で描かれている、ミニマムでも満足する、感謝して、笑顔で過ごす島の人々のその表情はまさに、Happy People Live Longer! を彷彿とされる笑顔だった。
坪田一男(慶大医学部教授/日本ポジティブサイコロジー医学会副理事長)
この映画ではイナカの持つ独特の風習や時間の流れ、人付き合いにとまどい試行錯誤しながらも島に移住し生きる若者のリアルな姿が淡々と描かれている。若者がイナカに行く理由は様々だ。されど移住すればこれまでとは違う環境のなかで自らと向き合い、一つ一つ答えを見つけていかなければならない。その過程で「幸せ」の意味をそれぞれに見出すのだろう。移住者とそれを受け入れるイナカにとってとても共感できる映画だ。
千田良仁(一般社団法人 村楽 代表理事/株式会社アイファイ代表取締役/東京大学大学院農学生命科学科特任研究員)
一八四〇年にフランスで出版された本に、カベの書いた『イカリア旅行記』があった。誰もが誇りをもって生きている理想の平等社会、イカリアを訪れたとする見聞録である。この本は19世紀の社会改革運動に大きな影響を与えることになったが、イカリアはカベが創りあげた架空の島だった。ところがこの映画が描いているのは、実在するイカリア島である。しかも生きる理想とは何かを提起してくる。カベの本と同じようにイカリアは自由な世界なのだ。その自由は人間がつくりだすものなのか。それともイカリア島の大地や海、自然がつくりだしているものなのか。そこにあるのは、無事な自由である。
内山 節(哲学者)
グローバリゼーションは細部に宿る。そこから「離」れることは決して容易ではない。空間的につながっているからだ。その点「離」島は、社会的経済的にグローバリゼーションから距「離」を置くことができる。しかし、そこでの生活は決して容易ではない。がゆえに、人と人、人と自然はつながらなければならない。空間のつながる都市ではあらゆるモノが「離」れ、「離」島にはつながりが生まれる。僕たちは、豊かさの源泉たるつながりを取り戻すため、一度、「離」れてみる必要があるんだ。この映画の若者たちのように。
竹本 吉輝(トビムシ代表)
行動と行為の違い、
表現と体現の違いを垣間みる映画。
イカリア島民は、祝い、踊る。
息の長い幸せとは、得るものではなく、至るものだ。
テンダー 無人島愛好家 / ヨホホ研究所主催
映像が何処をとっても綺麗で、ほのぼのしてて、音楽も良くて。ただただ、BGM的に繰り返し流しておきたくなる様な映画。
一番憧れるのは、80歳のおじいちゃん(には全く見えない。しかもブルースウィルス似のイケメン )が、島のお祭りで若い女性と楽しそうに踊っている姿。
僕もそんなおじいちゃんになりたい。以前、放浪の途上でキューバの日系家族の家に転がり込んだ。キューバの人達は貧しいし、国外に出る自由も無いけど、正に足ることを知る人達で、やっぱり呑み屋に行けば、老も若きも関係無く混じり合い、和気あいあい、とても楽しそうだった。
僕は今年の春から、かつて炭鉱が栄えた頃は7万人、今は1万人が暮らす北海道の三笠市に引っ越した。足ることを知る生活、自分の足元にある土で食べ物を育てる暮らしを夢見て。実際やってみると、思うペースでは進まないことが多く、だからこそ、この映画の主人公の苦悩も良く理解出来た氣がする。
ボブ マーレーがかつて日本に来た時に、田舎に散らばれ。という名言を残したそうだけど、この映画を観て、益々その言葉に真実味を感じる。
田舎で楽しく、ハレの日には若い姉ちゃんと踊り続けるおじいちゃんを目指すぞっと。
中渓宏一 ミカサスカサ合同会社代表