岡真理さん(早稲田大学文学学術院教授、京都大学名誉教授)
イスラーム映画祭『ガザ・サーフ・クラブ』上映後トーク内容より(2020年3月14日)
イスラーム映画祭で上映されることになるまで、この映画のことは知りませんでした。
ガザにサーフクラブ? 悪い冗談かと最初は思いました。
ガザは地中海に面して、その海岸線は40キロに及ぶ遠浅のビーチです。当然、サーフィンは出来るはずですが、でも、「ガザ」と「サーフクラブ」というのは、「白い黒板」というのと同じ、相容れない組み合わせだと、ガザの現実を知っている人なら感じるのではないでしょうか。なぜなら、サーフィンの持っているイメージは、何の憂いもない人たちのスポーツ。湘南とサーフィンならぴったりですが、ガザというトポスは、そうしたイメージの対極にあるからです。
この映画が公開されたのは2016年。映画の中で「昨年の戦争」と言っているのは、2014年の7月から8月にかけて51日間続いた戦争のことです。映画は、その2014年から2015年にかけての冬のガザが舞台です。
主人公のひとり、イブラヒームがハワイに行って、モノクロのガザから、カラーの世界に変わります。地中海を意味するアラビア語の正式名称は「白い」という形容詞がつきます。なぜ「白い」のか。地中海式気候では冬は雨季です。海が荒れて波が高く、白い波濤に満たされるからです。
本作の舞台が冬のガザなのは、封鎖されているガザに入れたのが、たまたまその時期だったからなのか、それとも、冬の方が波が高くて、サーフィンに適しているからなのか。いずれにせよ、青く晴れ上がり緑も豊かなフルカラーのハワイとの対比で、季節も相俟って、封鎖下のガザの陰鬱さが強調されています。
2014年の時点で、ガザの封鎖は8年目に入っていました。
ガザとはどんなところでしょうか?
日本とほぼ同緯度に位置しています。海に面している長い部分は、南北に約40キロ。横幅はエジプトと接している部分が約10キロ。一番狭いところで幅4、5キロです。
東京都の半分の面積(360平方㌔)に、現在、200万人が暮らしています。ガザは世界でもっとも人口過密なところと言われますが、360平方キロに200万人だと、人口密度は1平方キロあたり5000人ちょっとで、そんなに多くはありません。でも、ガザでは、難民キャンプに人が集中しているのです。最大のジャバリヤ難民キャンプは、1,5平方キロに十数万人が暮らしています。
1947年11月29日、国連総会は、パレスチナを分割して、そこにユダヤ人の国を創ることを賛成多数で可決しました。翌年5月、イスラエルの建国が宣言されるのですが、このとき、パレスチナの各地で、パレスチナ人が集団虐殺されたり強制追放されたりして、全住民の4分の3にあたる75万人以上のパレスチナ人が民族浄化されます。1948年にパレスチナ人を襲った、この民族的悲劇をアラビア語で「ナクバ(大災厄)」と言います。
このとき占領を免れたガザに、故郷の村や町を追われたパレスチナ人19万人がやって来ました。国連がガザの各地に難民キャンプを設けます。パレスチナ難民の故郷帰還は、基本的人権であり、また、国連総会でも確認されているパレスチナ人の民族的権利ですが、イスラエルが彼らの帰還を認めないために、ガザの難民たちは70年以上たっても、孫や曾孫の代になっても、ガザの難民キャンプで暮らしています。ガザの200万の人口の7割が、ナクバで難民となった者たちとその子孫です。
イブラヒームやサバーフはその暮らしぶりや家のようすから見て、難民ではなく、元々ガザに暮らしていたパレスチナ人だと思います。イブラヒームがハワイに行くことができたのも、病院で定職に就いていたからですね。
1967年の第3次中東戦争(「6日戦争」というイスラエル側の呼称で知られていますが、アラブ側の呼称は「6月戦争」です)で、ナクバのときは占領を免れた東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区とガザ地区もイスラエルに占領され、これによって歴史的パレスチナの全土が占領されてしまいました。こうして占領下のガザに、イスラエルの入植地がどんどん建設されます。
2005年、ガザからイスラエルの入植者やイスラエル軍が撤退し、イスラエルは、ガザはもはや占領下ではない、と主張しますが、陸も海も空も、イスラエルがすべてコントロールしていますので、国際法上、ガザは依然、イスラエルの占領下です。
2007年、ガザの完全封鎖が始まります。
この年、パレスチナの立法評議会選挙(日本の総選挙にあたります)がおこなわれ、民主的選挙によって、これまで自治政府を担ってきたハタファに代わってハマースが選ばれました。しかし、ハマースをテロ組織と見なすイスラエルや米国はハマース政権を認めず、ガザでクーデタを画策します。ガザは内戦状態になりますが、この内戦にハマースが勝利すると、イスラエルはガザを完全封鎖しました。こうして、ガザは「世界最大の野外監獄」となります。
完全封鎖され、逃げ場のないガザに対して、イスラエルは何度も大規模な軍事攻撃を行います。イスラエルはこれを「芝刈り」と呼んでいます。
2014年に3度目の「芝刈り」が起こります。7月から8月にかけて51日間。ジェノサイド攻撃ともいえる激しい攻撃でした。
封鎖されているため、攻撃で町が破壊されても、建設資材が入ってこないので再建できません。封鎖によって、地場産業は破壊され、住民の8割が、国際団体の食糧支援に頼らないと生きていけないようになってしまいました。半世紀以上に及ぶ占領と封鎖で、ガザは極度の貧困状態におかれていますが、元々貧しいのではないのです。イスラエルによる封鎖や繰り返される攻撃でガザの産業基盤や社会インフラが破壊され、人為的かつ意図的にガザの人道危機が創り出されています。
封鎖のため燃料も十分にないので、電気の供給は、2014年の段階では1日8時間から16時間、今は1日わずか数時間です。病院では、人工透析も半分の時間しかできません。下水ポンプが稼動しないため、冬、まとまった雨が降ると、ガザの低地は毎年、洪水状態になります。下水処理施設も稼働していないので、現在では未浄化の生活排水が海に排出されていて、海も汚染されています。感染症で死ぬ危険もあるため、保健省が遊泳を禁止しています。かつてサーフィンをしていた人たちも、今はほとんどがやめているのが現状です。
出典:
シネマジャーナル 映画祭報告より ※一部ご本人が加筆