Story ストーリー
イスラエルによるガザ攻撃が続いていた2024 年、イラン出⾝の映画監督セピデ・ファルシは、緊急に現地の⼈々の声を届ける必要性を感じていた。しかし、ガザは封鎖されており⾏くことは出来ない。そこ で、知り合ったガザ北部に暮らす24歳のパレスチナ⼈フォトジャーナリスト、ファトマ・ハッスーナと のビデオ通話を中⼼とした映画の制作を決意する。
以後、イランからフランスに亡命したため祖国に戻れない監督と、監督の娘と同じ年齢で、ガザから出られないファトマとのビデオ通話が毎⽇のように続けられた。そして、ファトマは監督にとってガザを知る⽬となり、監督はファトマが外の世界とつながる
架け橋となり、絆を築いていく。
ファトマは空爆、饑餓や不安にさらされながらも⼒強く⽣きる市⺠の姿や、街の僅かな輝きを写真に収め、スマホ越しにガザの様⼦を伝え続けた。監督が「彼⼥は太陽のような存在」と形容するように、彼⼥はい
つも明るかったが、度重なる爆撃で家族や友⼈が殺されていくにつれ、表情を暗くしていく。そして悲劇はファトマをも襲う。2⼈が交流を始めて約1年後の2025
年4 ⽉15 ⽇、本作のカンヌ映画祭上映決定
の知らせを、ファトマは喜んだが、その翌⽇、イスラエル軍の空爆でファトマを含む家族7⼈が殺され
てしまったのだ。
25歳になったばかりのファトマの死は、本⼈が「もし死ぬのなら、響き渡る死を望む」
と書いたように、世界中に波紋を広げることになる。
ファトマは今夜、私たちと共にいるべきでした。芸術は残り続けます。
カンヌ国際映画祭2025 審査員⻑ ジュリエット・ビノシュ 開会式でのスピーチファトマ・ハッスーナ Fatma Hassona
ガザ出身のパレスチナ人フォトジャーナリスト。応用科学大学でマルチメディアを専攻し、卒業。タメル・コミュニティ教育財団でフォトグラファーとして勤務する傍ら、文学グループ「ヤラアト・アル・アダビ」の編集チームメンバーとしても活動した。その後、ウーマンズ・アフェアーズ・センター・ガザ(WAC)で写真家として活動し、プラン・インターナショナルの「She Leads」プログラムにも参加。彼女の作品はガザ各地で展示され、多くの人々の共感と関心を呼んだ。2025年4月16日未明、ガザ市東部アル・トゥッファーハ地区の自宅がイスラエル軍の空爆を受け、命を奪われた。25歳になったばかりだった。
映画表現と言う名の本質かつ痛烈な叫び
セピデ監督とファトマさんによる リモートでのキャッチボールは
どんな話題作をも圧倒的に凌駕する現実
“映画鑑賞”の領域を超えている
あなたがこの作品に、彼女達に出逢います様に。
斎藤 工俳優/フィルムメーカー
サヘル・ローズ俳優・タレント
須賀川拓戦場ジャーナリスト