「幽霊船」と訳される『ゴースト・フリート』に登場するトゥン・リンさんはじめ、インドネシア沖で漁船での労働を強いられた経験を持つ人たちに労働権利推進ネットワーク(LPN)でインタビューしたことがある。一日3、4時間の睡眠、仲間内の喧嘩、将来を悲観して自殺を図る者、助ける者、船内での暴力や喧嘩、殺人、それぞれ壮絶な経験をぽつりぽつりと話してくれた。私は質問をした。「日常の食事はどうしていたの?捕獲した魚を食べていたの?」と。(こいつ、何もわかっていないなあ)という呆れた表情とともに柔らかな笑みで男性は「捕獲した魚は、アメリカや日本など先進国に送られているんだよ」と答えた。私は自分の浅はかさを恥じた。語ってくれた人は、安さと豊満なシーフードを貪る先進国の消費者である「私たち」に供給するための魚を捕るために強制労働をさせられていたのだ。
「逃げて帰国することは考えなかったの?」との質問には「そりゃ考えたさ。でも泳げないし、たとえ船長を殺したとしても船を操縦できないし海図も読めない。自分がどこにいるのかもわからない。どうやって帰ればいいかわからなかった」と今度は苦渋の表情を浮かべて答えた。生きて帰国できる希望さえ失いかねない深刻な状況だったのだ。
話し手の一人だったトゥン・リンさんは、魚網に絡んで利き手の右手の指をもぎ取られた時、痛みと絶望で死ぬことを考えたと語った。その後、陸に上がって病院で治療を受けることができ、もう漁船で働かずに済むだろうと安堵する間もなく、再び漁船に戻された。度重なる絶望の末、海に飛び込み、なんとか陸地に泳いで辿り着き、ジャングルに数日潜み、その後、島の村を尋ね、食を乞うた。トゥン・リンさんは、助けてくれたインドネシアの家族のためにバイクタクシーの運転手としてインドネシア語を使って働いていた。2015年の3月、タイから来たパティマさんらに出会い、帰郷を果たした。15歳でミャンマーの故郷を出て、生きるために習得したタイ語やインドネシア語は、映画でわかるように他者を助けるための重要な手段となった。