2022年5月28日(土)シアター・イメージフォーラム他全国順次ロードショー ユナイテッドピープル配給

「幽霊船」と訳される『ゴースト・フリート』に登場するトゥン・リンさんはじめ、インドネシア沖で漁船での労働を強いられた経験を持つ人たちに労働権利推進ネットワーク(LPN)でインタビューしたことがある。一日3、4時間の睡眠、仲間内の喧嘩、将来を悲観して自殺を図る者、助ける者、船内での暴力や喧嘩、殺人、それぞれ壮絶な経験をぽつりぽつりと話してくれた。私は質問をした。「日常の食事はどうしていたの?捕獲した魚を食べていたの?」と。(こいつ、何もわかっていないなあ)という呆れた表情とともに柔らかな笑みで男性は「捕獲した魚は、アメリカや日本など先進国に送られているんだよ」と答えた。私は自分の浅はかさを恥じた。語ってくれた人は、安さと豊満なシーフードを貪る先進国の消費者である「私たち」に供給するための魚を捕るために強制労働をさせられていたのだ。

「逃げて帰国することは考えなかったの?」との質問には「そりゃ考えたさ。でも泳げないし、たとえ船長を殺したとしても船を操縦できないし海図も読めない。自分がどこにいるのかもわからない。どうやって帰ればいいかわからなかった」と今度は苦渋の表情を浮かべて答えた。生きて帰国できる希望さえ失いかねない深刻な状況だったのだ。

話し手の一人だったトゥン・リンさんは、魚網に絡んで利き手の右手の指をもぎ取られた時、痛みと絶望で死ぬことを考えたと語った。その後、陸に上がって病院で治療を受けることができ、もう漁船で働かずに済むだろうと安堵する間もなく、再び漁船に戻された。度重なる絶望の末、海に飛び込み、なんとか陸地に泳いで辿り着き、ジャングルに数日潜み、その後、島の村を尋ね、食を乞うた。トゥン・リンさんは、助けてくれたインドネシアの家族のためにバイクタクシーの運転手としてインドネシア語を使って働いていた。2015年の3月、タイから来たパティマさんらに出会い、帰郷を果たした。15歳でミャンマーの故郷を出て、生きるために習得したタイ語やインドネシア語は、映画でわかるように他者を助けるための重要な手段となった。

トゥン・リンさん

タイのIUU規制とL P N

タイの水産業および水産加工業は世界に誇る一大産業だ。マクドナルドのフィレオフィッシュも、アラスカから運び込まれタイ工場で成形されて世界中に輸出されている。日本でも見かけるツナ缶や冷凍シーフード、そしてキャットフード缶詰の多くもタイで加工されている。バンコクの西にあるサムットサーコン県には輸出向けの水産加工工業が立ち並んでおり、労働者不足を補うように80年代以降ミャンマーからの移民労働者が増加した。ミャンマーからの移民は、経済格差があるミャンマーからタイに就労目的でやってくる人ばかりではなかった。1988年のミャンマー軍事クーデターから逃れてきた人、ミャンマー軍事政権の圧政を逃れてきた少数民族の人々、大規模開発計画による立ち退きで生計手段が奪われた人々など政治的、社会的な軋轢による生活苦から新天地を求めてきた人たちも少なくない。

そのサムットサーコン県に、移民労働者の子どもたちの教育支援を行うためにパティマさんと彼女の夫ソンポンさんは一緒に2004年にNGOの労働権利推進ネットワーク(LPN)を設立した。設立当初の活動は移民の子どもたちの教育支援だったが、次第に移民労働者たちの相談が増え、未払い賃金交渉や病気や怪我などの労災など移民労働者の権利のための支援に拡大していった。活動は、移民労働者とその家族の支援だけでなく、公立学校や企業での人権啓発活動にも積極的に広がった。

ソンポンさんによれば、2010年以降、インドネシア沖でのタイ船籍の漁船の強制労働を経験しなんとか帰国したミャンマー人やタイ人から、帰国したくでもできない同胞を助けて欲しい、との要望が複数寄せられたという。報道もされていないインドネシア沖で何が起きているのか、2015年3月に特別寄付を募ってパティマさんとソンポンさんらLPNとジャーナリストは、とにかくアンボン島とベンジナ島に行った。そして、監禁されていた複数の元漁船乗組員らを発見し、救出に努めた。2015年3月から9月までの6ヶ月間にインドネシア沖の島から5000人以上が救出され、出身国に帰国した。

このニュースは、欧米中心に大々的に報じられた。EUは、それまでタイから年間50億ユーロの水産物を輸入していたが、違法・無報告・無規制を意味するIUU対策が改善されなければ取引を停止するとのイエローカードを2015年4月に発出した。また、米国国務省は毎年各国の人身取引対策を評価、発行している「人身取引年時報告書2015」(2015年7月)においてタイ政府のタイ漁船での強制労働という人身取引対策を厳しく批判し、経済制裁発出可能な最低ランクの第三階層と評価した。

こうした国際的な評価はタイ水産業・水産加工業輸出に大きな打撃を与え、プラユット首相に早急な対策強化に迫った。タイ政府はIUU問題解決のため、2015年8月に7つの政府機関 が相互協力と情報共有を促す内容の覚書を交わし、同年11月にIUU対策を強化する漁業法を制定した。さらに2019年1月にILOの漁業労働条約(第188号)を批准し、同年10月にはビジネスと人権国別行動計画を発表した。どちらもアジア初の先進的な対応だった。E Uはこうしたタイ政府の国内外の取り組みを評価し、2019年11月にイエローカードによる警告を解除した。

元漁船労働者の帰国後の困難

しかし、タイ政府のIUU規制や労働者の人権保護が進んでいるが、これまで長期間漁船での低賃金もしくは無報酬の労働を強いられ、そこから逃亡しても帰国できずにいる人々やトラウマを抱えて社会再統合を果たせない人の公的な救済は皆無に近い。タイは2008年に人身取引禁止法を制定しているが、インドネシア沖の奴隷労働から帰国した労働者で人身取引被害者と認定された人は僅少だ。人身取引被害者としての支援はなく、未払い賃金や慰謝料は搾取された本人が、就労を証明する書類を揃えるなど煩雑な手続きをして会社に請求しなければならない。LPNに支援されて未払い賃金や慰謝料を得た人もいるが、煩雑で長期の交渉を要するため請求を諦める人も多い。

長期間の暴力や強制労働による深い心身のトラウマで帰国後の生活再建が困難になっている人たちは少なくない。トゥン・リンさんをはじめ、元漁船労働者のミャンマー人やタイ人らは、映画制作の後もLPNのスタッフ、仏教僧、農民従事者として社会生活を送りながら、元漁船乗組員で奴隷労働経験者の相互扶助グループをLPNの支援で立ち上げ、弱っている同僚を見舞って励まし、機会がある毎に、海での奴隷労働の現実をパティマさんとともに伝え歩いている。

パティマさんの眼差しと私たち

ところでパティマさんは映画で、彼らのことを友であり、家族のようだと語り、一人の人に生み育てた家族があり、故郷があることを尊重し、帰国できない事情を持つ人々の意思を尊重し、命を落とした同胞らに鎮魂の祈りを捧げ、深い人間愛の眼差しを向けていた。

シーフード消費者としての私たちは、サプライチェーンの末端の奴隷労働者という関係を超えて彼らとどのようにつながっているだろうか。そしてパティマさんの眼差しから、私たちは何を学びとることができるだろうか。『ゴースト・フリート』は、食べること、生きること、人を思うこと、そしてつながりを深く考えさせられる作品である。

齋藤百合子
大東文化大学国際関係学部特任教授。人身取引問題や大学のフィールド教育を通して学生と共にLPN等で被害者らの語りを聞いてきた。関連する論文は「メコン地域における人身取引対策の課題 -タイの労働搾取型の人身取引への対応」『明治学院大学国際学研究』第49号(2016年)。ほかに論文や書籍(共著)など多数。