FAQ
※以下の回答は、2014年4月10日時点で、プロデューサーのオルワが回答したものになります。その後、状況が変化しているものもあります。
–
バセットは今どこにいるのでしょうか?
映画でもご覧いただけるように、ホムスの包囲エリアの中に戻り、そこに残っています。映画撮影後も、さらに多くの愛する仲間たちを失っており、その多くは包囲網を突破して食料を持ち込もうとする中で殺されました。包囲エリア内の生活環境は極めて厳しく、食料や医薬品はまったく足りていない状況です。しかし、バセットは機会を見つけてはYouTubeでメッセージを発信しており、今も前向きなエネルギーを持って、わずかに残った友人たちと歌い、笑いながら過ごしています。
(※その後、バセットは過激派へ傾倒していったとの情報もあります。またホムスの街は、2014年5月に、政府側と反体制側とで合意に達し、反体制側が完全撤退したと報じられています。)
–
オサマはどうなったのですか?
オサマに関する確証のある情報は得られていません。彼はまだ生きていて、シリア政府がダマスカスで秘密裏に管理している施設に捕まっているという噂がある程度です。シリアでは、多くの平和的活動家が政府に暴力的な扱いを受けてきました。彼もそうした非戦闘員の一人で、アサド政権による抑圧を暴露しようとするなかで、処罰の対象になってしまいました。
–
バセットはまたサッカーをプレーできるようになるのでしょうか?
いいえ、残念ながら彼は足の3か所に負ったケガによって、二度とサッカーをすることはできないでしょう。
–
ホムスの包囲エリアの人道支援状況はどうなっているのでしょうか?
2014年2月7日までの時点で、このエリアに住んでいる市民の数は、子連れの家族や生まれたばかりの幼児も含め、約3000人と見積もられています。2014年2月、国連の仲介により、政府と包囲エリア内の市民の間で協定が結ばれ、一部の人々(16歳〜55歳の男性を除く)の避難が認められました。この協定により、1400人の市民の避難が実現しましたが、残りの市民はこのエリアに残ることを決断しました。これは、これまで戦ってきた彼らが、単純に降参して政府に家を明け渡すことはできないと考えたためです。約400人の若い男性は、この機会に家族とともに包囲エリアを去ろうとしましたが、彼らは捕まえられ、国連の監督下でホムスの市内中心部にある学校に勾留されました。このうち一部の人は解放されましたが、いまも約60人は身柄を拘束されたままです。包囲エリアは現在もあらゆる供給が停止した困難な状況にあり、2014年2月にわずかな食料や医薬品が届けられたのみで、エリア内の人々はこれらの物資に頼った、切り詰めた生活を送っています。これに加え、政府軍やアサド派による攻撃が毎日続いています。
–
シリア国内には他にもホムスのような包囲エリアがあるのでしょうか?
こうした包囲エリアは、ホムスが最初のもので、もっとも長く続いていますが、同じような状況にある街は他にもあります。ダマスカス周辺にあるヤルムークのパレスチナ難民キャンプもこの1つで、現地の住民は飢餓による瀕死の危機にあります。ここでは、国際的機関による支援活動が行なわれており、メディアにも取り上げられてはいますが、小規模で、問題解決には至っていません。同じくダマスカスに近いAl Moaddmiyaも包囲されており、同地で食料不足に苦しむ子どもたちの写真は、これまで世界が目の当たりにしてきた悲惨な飢饉に匹敵するほどひどいものです。また、アレッポ周辺では、宗派を理由にアサド政権を支持している二つの村があり、そこを反体制派の戦士たちが部分的に包囲しています。ただし、この包囲網は他の地域に比べればそれほど厳重なものではありません。もちろん、だからといって市民への包囲攻撃が正当化されるものではありませんが、このことは、飛行機などによる食料や医薬品の支援を含め、政府のほうが反対派よりも容易に支援者をサポートできることを示しています。
–
家族や女性が出てきませんが、彼女たちの役割はないのでしょうか?
シリア革命においては、当初から女性も中心的な役割を果たしており、カリスマ的な女性活動家や反体制主義者、母親、娘、アーティストや戦闘員にいたるまでさまざまです。
しかし、この映画の主役は一般的なバックグラウンドを持った若い男性たちです。革命において武力行使が始まった際、彼らは皆、前線にとどまることを決意しました。このため、彼らの日常に女性が登場しないことは驚くことではありません。
映画を撮影するなかでも女性たちの存在はありましたし、包囲エリアに住む家族たちも撮影された前線からわずか500メートルの距離で生活しています。しかし、彼女たちはこの映画の主役ではなく、バセットがいた場所にもいなかったというだけです。
監督のタラール・デルキは編集作業のなかで、若き男性の戦士たちの世界に焦点を当てることに決め、その編集方針によってこの映画の一貫性が生まれています。本作のなかでは、バセットがホムスを去り北へ向かう場面で、彼の母親や親戚、兄弟の娘であるシャムが出てくる程度です。女性や家族の物語については、他の映画が伝えることでしょう。この映画は前線を舞台に主人公たちへ深く迫るものであり、あらゆるストーリーを語りつくすものではありません。
–
バセットのような人物はどんな政治システムを望んでいるのでしょうか?
バセットの周りには、イスラーム中道派から、左派、リベラル、急進的サラフィー主義者(いわゆる過激派)まで、幅広いイデオロギーを持つ人々が集っています。しかし、ほとんどの人は、バセットと同じように、特定の政治観念は持っておらず、ただ自由への信念を持ち、不公正に耐えることができない人々です。バセットは他の多くのシリアの指導者たちと同じく、独立した市民兵のリーダーであり、何らかの取引に応じる形で資金援助を受けることはしないと主張しています。こうした主張が、彼をカリスマ的存在にしましたが、それによって、市民兵やその軍事力が増すわけではなかったことも事実です。
バセットは西側メディアに忘れ去られているすべてのシリア人のために戦っています。彼らが求めているのは、単に、自分が暮らしている周辺の地域が安全になることや、子どもたちがより良い生活を送れることです。彼らのなかには、もともと保守的な思想を持っている人や、多くの死や暴力に直面するなかで保守的になる人々もいるかもしれませんが、だからといって神政主義に傾くわけではありません。むしろ、そうした主義・思想を掲げる人々にうんざりしています。彼らが求めているのは「生き残る」という、よりシンプルな行動原理なのです。
–
映画の編集のなかで、過激なジハーディストは意図的にカットされているのですか?
そんなことは勿論ありません。映画のなかに登場する、あごヒゲをたくわえ、整った口ひげを生やした男性たちでさえ、ほとんどは本当の「過激派」ではありません。彼らは、痛みや怒りに駆られて、イデオロギーとしてではなく、狭量な感覚の中で、極端な立場に立った多くの人々の一部です。映画を製作するなかで会った人々や、バセットやそのグループの周りには、本当の過激派はわずかしかいませんでした。過激派はシリア国内の他の場所により多く存在していますが、だからといってあらゆる場所にいるわけではありません。ただ、彼らがいる場合、必ず集団で存在しています。
–
内戦が起きる前のホムスの生活はどんなものだったのでしょうか?
ホムスはシリア第3の都市として約120万の住民が生活しており、商業も活発な都市でした。当時の知事は、現在のアサド大統領と彼の亡き兄であるバーセルの個人的な友人だった人物で、新自由主義的な思想に基づいた都市づくりに注力しました。そのなかでは、カタールの投資家の資金による多くの大規模な不動産プロジェクトが進められており、ホムスの人々は、自分たちのためにならない、こうした政策に怒っていました。ホムスの人々は、東部地中海沿岸地方では、ユーモアセンスの高さで知られており、これは9世紀の歴史的な文献の中でも触れられています。この地域ではよく「世界中のジョークはホムスでできた」というような言い伝えもあるほどです。